今日で7月も終わりです。
年が明けたと思ったらギラギラに暑い(;^_^A
毎日、オリンピックの観戦が楽しみな日々です。
今年は年明け早々、大変でした。
やっと色々落ち着いてきたので書く気になりました。
実は1月の半ばに母が亡くなりました。
誤嚥性の肺炎で悪化してしまい、入院してから一週間。
あっという間に旅立って行ってしまいました。
まさしく世の中はコロナで大変で、面会して見舞うことも叶いませんでした。
やっと顔を見れた時はもう脈が弱ってきていて無理だろうと言われ最後に面会を許可された時でした。
幸い母はまだ意識があり、まだ私の問いかけにうなずくことが出来ていました。
・・・・ちょっと泣けてしまったので中断・・・
すみません。
母は苦労人だったと思います。
お気楽な面も多数有ったのでwww、全体的には楽しい人生だったろうとは思います。
ベットの上の母に、
「あれもこれも心配いらない。」
「あの件はきちんとやったよ」
「この夏はみんなで出かけるんだからね」「ちゃんと治して退院してみんなで出掛けるでしょ?」
と言うと 母は にっと口角を上げて ”もちろん 当り前じゃない”
という表情をして見せてくれました。
とても安心した様子で うとうと し始めた母。
私はなんだかすっかり安心してしまい、もう最後の面会で今日中にあぶないと言われていたけれど、母が再び寝入ってしまったのを見届け、帰宅することにしました。
それから、3~4時間後(パニックでよく覚えていない)に病院から連絡があり
最後に間に合わない可能性が高い(これは肺炎の特徴なのか、入院した時点でも念を押されていました)が直ぐに来れますかと連絡が入りました。
急いで家族に連絡して、取り合えず一人で飛び出しました。
夜、10時を過ぎていたかと思います。
病院までは自転車で5分程で行ける距離だったのでメッチャ飛ばしてかつ安全に急がば回れだからと自分に言い聞かせて駆け付けました。
間に合いませんでした。
私は帰宅したことを激しく後悔し、その場で泣き崩れてしまいました。
最初に母にかけた言葉は
「ぉ お母さぁん ゴメン ゴメンー 」でした。
もうワーワー子供の様に泣きました。
一人で旅立たせてしまった後悔と、もっと色々してあげれた筈なのにしなかったことに涙が止まらなくなりました。
それからは家族がみんな駆け付け、みんなで母にありがとうとお別れをしました。
そして、やっと涙が収まってきた10数分後には色々な手続きとお葬式の手配やらの話を聞いたりと目まぐるしく時間が過ぎていき、日々が過ぎていきます。
ちょっと泣きながら書いているので( ;∀;)疲れちゃった。
続きは次回で。